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製造業/事業推進/音楽/サッカー/海外生活=独り言。駄文/雑文です。

想像と都市の子供

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新年あけましておめでとうございます。


ひらがなで書くと柔らかさが出るように思えるけれど、こういったものは出来る限り漢字で書いたほうが読みやすいのか、そもそも上品さは関係あるのだろうか、などなどを書くたびになんとなく考えます。



出来る限り思考をキレのあるうちに保存しておきたいと思うのですが、最近その役割はエバーノートに移行しており、ブログは日常生活書きなぐりの色が強くなっているようです。


とはいえ自身として、後から見直した時に自分の頭を整理してくれたり刺激してくれたりするようなきらめきを含んでおきたいと思うので、そういった思考を何ともなく書いておこうと思います。




「仕事のために仕事する、という発想は貧弱だと思う。」

僕は別に仕事がしたいわけではない。

生きていくうえで人間社会に価値提供をする必要がある、と考えているのでそれを行うわけですが、その過程で自身のやりたいこと・モチベーションの源泉みたいな部分をこの価値提供とコラボレートすることで幸せを感じやすくなるんではないだろうかと思っているのです。

提供をしているのが我々で社会の側が対価の支払いを行うため、当然自分を寄せていったとしても依然として”やらなければいけないこと”(やりたいか否かに関わらず)は発生するが、やらなければいけないことで埋め尽くされているというのは大変不幸だと思う。

やらなければならないことを処理して、いかにやりたいことをやるのか。
そのやりたいことが仕事に重なっているのであれば、幸福感は得やすいだろうということです。

やりたいことが仕事でもよいとは思いますが、やりたくないのにやらざるを得ないのであれば最小化するための努力をすべきだろうとは思います。

”生活のために仕事をする”、のほうが幾分かましではあります。

低次の欲求であって、どちらにせよ満たされなければ人として生きづらい。
ここが満たされないまま生きることは結局自由度が低いということなので、やらざるを得ないことだらけになり、結局は人間らしい幸せを求めるのであれば高次の欲求が満たされるように動くのが一番効率が良いのでしょう。






「たいていの場合人は望むように生きる。問題は認識の有無。」


正義も悪もいいも悪いも、相対的なものであり、自分の意識に依存する。

自分が思うままに歩いたら良いだけで、それができない場合は、そうしたくないだけの理由が別に存在する。

本能と思考は別物。欲求や性格が自分の志にそぐわないことは別に矛盾ではない。

志に沿って変えられるものがあるということであり、それがつまり自由意志であるわけです。
変えられなかったとして、間違っていたと思うのか、その程度だったと思うのかは自由。


いずれにせよ、認識がすべてであると思います。


不満が出るのは、認識の欠如からであって、そして不満を言うということは実効性の欠如です。

認識が届けば、それはおそらくより直接的な行為によって表現され得るので。






「カテゴリというものは切った瞬間からそれ自体に規定される。個々のパラメータに意味があるわけではない」

これも結局は認識の問題。


不平等は人の作り出す幻想です。
不平等であるわけではなく、不平等に”なる”ということです。


人はそもそも平等である。平等であったかどうかに関わらず。
それは社会の仕組みの話で別問題です。

平等ではある。同一ではない、ということ。
その点についてどんな解釈をしているのか、がつまりは個人の価値観であり、それが社会を形成する。






特に意味はないです。


ではまた。
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