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生命境界プログラム

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書かずとも過ぎ去る時の速さよ。

どうもこんばんは。


ついに到来。花粉の季節です。



地獄を見ています。


さて、今日も独り言、独り言。





時系列。

2月末日に母上の誕生日。何をあげたらいいかいまいち思いつかなかったのでめがねケースを買ってみたらタイミングが良く、ちょうど使っているものが壊れていたことで意外や好印象。

良かった良かった。

4日は親父殿が急遽仕事でチケットが余ったとのことで母上と芝居を観に。


井上ひさし原作「ゆきやこんこん」でした。



すごく声が出ていて、ちょっと現代風な台詞回しがあったりもして、楽しかった。意外や、原作が古くとも笑える部分っていうのは分るもので。


もちろん僕の年代の感性で「おもしろい」んではなくとも、「面白い」ことはわかるのです。やはり観客は年代かなり上の方が多かったです。


6日は家庭教師ラスト。テストの出来が非常に不安だが、もう僕の手を離れるので頑張ってもらうしかない。


家庭教師としてのこの一年の経験は、一度は選択肢としてあげた教師という存在について、教育というものについて今一度考えるいい機会となりました。

教師って、意外とその専門教科・学部で「優秀な」人はならない傾向がある、と在学時に気付きました。僕自身がそうであったように、選択肢で「逃げ道」のひとつとして確保するパターン。


結構な暴言かとは思いますが、これは事実です。英語に限って言えば客観的データで裏づけも取れます。

別にこれは教師になる人はみんなまともじゃない、と言っているわけではありません。

志を持って教師を目指している方はたくさんいらっしゃいますし、そういう方々は概して成績優秀です。



考えたのは、教師という職は、志を持って・自らの成長を止めることなく・教科の枠を超えて「教育」を考えることの出来る人間でなければなかなか本当の意味では務まらないということ。

本当はそれくらいハードルが高いんだということ。



現状ただやるだけなら僕みたいに家庭教師1年だけやるのも教師です。

ただ僕は自身を教師とは呼べない。そこに特別な何かを持たなかったので。

意義を見出すことに費やす時間は貴重だと思います。





バイト先の送別会がありました。少し前までいた店長と代行(今は別店舗で店長)がサプライズで来てくださったり、いろいろもらったり、楽しい会になりました。

こっちはこっちで中途半端な出し物をやってみたり、とね。


本当に居心地のいい職場で、本当にいい人ばかりで、恵まれました。


ここを離れても、付き合いが途切れないようにしたい。


こんな僕を受け入れてくださった皆様に感謝。ありがとうございました。





ぼーっと寝る前に考えていたことがある。


「生物と無生物の間」というタイトル。たしか福岡さんの本だった気が。


内容はまったく関係ないんですが、タイトルからの連想で、妄想をしておりました。

生命、有機体というのは超高度にプログラムされた存在であるのではないか。


僕はまったくの素人で、化学、物理、生物、生命科学、細胞、遺伝子その他一切についてまったく詳しくない。


だから専門的な疑問は一切排除された単なる妄想なわけです。


果てなく物質を細分化していけば、現代科学では素粒子と呼ばれるものに行き当たるはずなのです。

すべてのものの組成は素粒子にぶち当たる。それを考えるならば、本質的差異は生物・無生物、有機・無機には存在しないのでは。

つまるところ素粒子の、その上位の原子、そして分子の組み合わせが物事を決定していく。それはつまり超高度なプログラムです。


生命というのは素粒子、原子レベルから絶妙にプログラムされ、超絶カオスな複雑系。


人間が非生命を使って模する生命であったりプログラムというのはつまり、土台が生命としてプログラムされていないものを使ってプログラムしようとする行為で、ひどく難しく、遠回りで、そして再現度が低くなるのです。


買ってきた2000ピースのパズルを組むのでなく、目の前の大きな石を削り・形を整え・2000ピースのパズルとして作り変えようとし、それを組む行為です。正確なたとえではありませんが。




ということは、素粒子物理や量子力学といった自然界の最小単位を扱う学問が進めば進むほどに、生命の研究も進んでいくんじゃないのかなぁ。



と、いう妄想でした。








のらりくらりと生きております。


自分の性格は理解しているつもりです。客観性や論理性といったもの。



だからこそ、直感を大事にする、という生き方をしています。


一見正しく見えることにも、正しく聞こえることにも、正論だと思えても、違和感が拭い去れないときがある。



それが僕の直感なんでしょう。

「釈然としないこと」「納得できないこと」「違和感があること」


それをそのまま放置しないことが、僕なりに直感に沿って生きるということだと思っています。


何も考えずに「こっちだと思ったから」というタイプの直感の従い方ではないんです。


なぜそう感じたのか。


そこを考え抜くことが、自分の価値観の理解につながる。


そうすることで、揺るぎない「自分」というものを確認しながら進む。

頭で考えて 体で動いて 言葉で伝えて

そして心に従って生きる。


すごく当たり前に聴こえるけれど、すごく大事で、見失いやすいものだと思っています。



震災から一年が経ちます。



相変わらず考えることはありますが僕はそれを言葉にしようとは思いません。


様々な意見価値観があるでしょうが、僕自身がまだ、言葉にしていいと思えていないからです。



何も変わらない。それがどんな意味を持つのか、わからないままで。


震災を含めずとも、何かにつけて哀しさと無力感だけはぬぐえぬものですね。



曲。



説明を書く気力がないので、説明不要のものを。


Oasis。 whatever。

1994のリリース以来アルバム未収録のままということです。


この世界でマスターピースと言える楽曲のひとつだと思います。

言葉も無いね。


ではまた。




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