東京ハチミツオーケストラ
雑感。
とりあえず日常のことでも置いておこうと思います。
日本帰ってきてからライフスタイルを構築し直してるんですが、以前より肉体からの距離に近いものへの信仰が強くなりました。
最近は毎週フットサルしてます。
改めてライブとか行き始めました。
今日はこんなん。
酒呑みの聖地みたいなとこだな。
そんな感じです。
雑感。
とりあえず日常のことでも置いておこうと思います。
日本帰ってきてからライフスタイルを構築し直してるんですが、以前より肉体からの距離に近いものへの信仰が強くなりました。
最近は毎週フットサルしてます。
改めてライブとか行き始めました。
今日はこんなん。
酒呑みの聖地みたいなとこだな。
そんな感じです。
お久しぶりです。
♯Evernoteメモシリーズ
ちなみにですが最近迷走モードです。
芯を強く持って生きられていないので、些末なことが気になるようです。
なぜか胃炎と胃潰瘍を併発しました。
人生二度目。
絶食!
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ご飯の食べ過ぎは百害あって一利くらい。
体は重くなるし、頭働かないし、気持ち悪くなるし。幸福度が上がるのが一利くらいでしょうか。
一利が大きすぎて食べすぎてしまう罠。
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自然回帰の思想、合理の観点からも矛盾はしないのではないかと思案中です。
経済合理を無視して、「世界が破綻したら」想定のサバイバル思考でしたが、単にスケールメリットみたいなものを無視しているだけで、特定コミュニティ内で一芸に秀でるという単位あたりの経済には理にかなうんですよね。
隠居も含んでしまうと少し方向性がずれるけれど、スケールをさせるために犠牲にしなければならないもの(本来「ビジネスでは正解とされること」のために切り捨てててきた部分)を大事に持つことが、ある単位では経済的に合理になるのかもしれないということ。
スケールメリットがなくなるのではなく、その中でのスケールが容易になる、相対的な価値が最大化されるようになるから。
個人的には質的な意味でもいずれは機械に及ばなくなると思ってます。
多くの物事で、おそらく僕らが生きている間に。
大量生産オリジナリティハイクオリティはすべて共存できるし、機械にそれができないというのは思い込みであろうと。
人に残るのは自己満足的な価値であって、その自己満足的な価値で繋がったコミュニティを形成すればいいのです。
それだって機械が代替可能である、というのは正論ですが、自己満足的な価値は文字通り自己満足なので、代替する意味がないのです。(労働は代行してほしいけれど、幸せは代行してほしくないでしょう)
クオリティの高さにおける二元論発想(良し悪し)では特殊領域特化できる機械が最も正しいし速いでしょうね。
人が生きる世は、今までも、そしてこれからもっと主観的なもので形成されるように流れていきます。
生きるために必要だったものは何かに肩代わりされて、もう僕らの世界では見えなくなりつつあるので。
だからあえて。自己満足的な意味でそこに一人戻って行こうとする、そこに体験的な価値を見出しています。
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