The Maker
こんばんは。
本日のタイトルはTrashmonkeysのアルバムより。
1か月に1本ペースがふつうになってきております。
物事を考えて書き連ねる癖は特に変わってはおりませんが、主にノートに直接だったり、Evernoteに書き込みだったりするパターンが増えました。
ちょっとここ一か月半を振り返ってみます。
7月に日本に帰ってから、やっぱり自身のライフステージとして真剣に帰国を考え始めました。
具体的な進展は薄いままですが、そんな中先日10月頭に全社イベントがあったため一時帰国。
今回は全社最優秀を決めるプレゼンにノミネートされましたので、主役です。
僕のプレゼンのテーマはもちろんインドネシアに行ってからの事業成長とそれを支えた意識の重要性、みたいなところで、正直かなり勝てるんじゃないかと内心自信持ってました。
事業成長自体はもちろん現地法人社長の力によるものですし、僕個人が成したのはいわゆる「現場」としての事業成長推進ですが、それでもやってきたことはそれなりにあるんじゃないかと自負しています。
負けちゃったんですけどね。
それでもFacebookで書いた通り、爪痕は残せたんじゃないかと思っています。僕の会社では僕のような立ち位置は珍しいですし、そういった人間が全社プレゼンに出てくることも今まではなかったことなので、今回のプレゼン自体に意義はあったと思います。
敗因を上げるなら、やっぱり日本との遠さとプレゼン内容の遠さかなぁという気はしています。
いろんな方に「君に投票したよ」と言っていただけましたし、上位役職の方々には刺さっていたみたいだったので、現場感の差なのかな、と負け惜しみを言っておこうと思います。ちょっと意識が高すぎたんだということに。
少なくともキャリアモデルとしての役割は、どこかしら担えている部分はあるかもしれないですね。
そこと前後して、せっかく日本帰るということでちょろっと温泉に出かけてました。
東武日光のほう、温泉の名前は忘れてしまいましたが、平家の宿をモチーフにした温泉宿に行ってまいりました。
世界観を作り上げるのにずいぶんと細かに手を入れているなぁと感心しました。
ゆるりと温泉に入っているときというのはやはりいろいろ考えるもので、日本での生活や今後のことをどっぷりと考えたわけです。
僕自身の今後のやりたいことや生き方という点で、グローバルにこだわるつもりはない。
会社でグローバル関係の仕事を多々頂き、インドネシアで仕事をしてみた今となっても、ここはあまり変わらない。
それは日本にこだわるという意味でもなく、つまりは国にこだわらないという意味で真にグローバルな気もしている。
グローバルとか言っているうちはグローバルやないんやで、と。心の内側がグローバルになってグローバルグローバルと声高に叫ばんでも自然とグローバルに生きていることこそがグローバルなんやで、と。
グローバルってなんやねん。ゲシュタルト崩壊してきた。
その辺は置いておいても、そうなってくると場所やお国柄で今後の生き方を選ぶことはそうそうないわけです。
多少の条件はあれど、その優先度が著しく上がるわけではないのです。
大事にすべきは自分のライフステージの変化である、というのが現状の結論。
誰と一緒に居たいかとか、今後の生活をどう過ごしていきたいのか、というところに仕事が乗っかってくる形です。
ここから先さらにインドネシアのこの会社で積み上げられるキャリアと経験は得難いものだなと思うわけですが、それにもまして僕自身の優先事項は日本にあるのかなと考えているので、帰国をしてゆっくり今後を考えたいなという所存でございます。
実際いつになるかはわからないんですけどね。ここから先1年以内くらいのスパンで物事を動かしたいなと考えています。
誕生日を迎えました。
ついに28歳。
アラサーという言葉に何の違和感もありませんが、この年になっても自分が大人である実感というのは沸かないもので。
高校生のころから、大学生のころからの延長での自分、というところはそれほど変わらないですね。
だからこそその間の学びや変化や出会いがとても大きいということなのだと思います。
自身の人生に責任を持とうという気持ちはもうちょっと早く持ってもよかったんじゃないかなぁ。
子供のころの自分の甘えというか、この世の道理を良くわかっていなかったころを思い出して苦笑いです。
Twitterで「自己肯定感」に関してつぶやいて、友人からレスをもらったのですが、失うことは容易でもなかなか取り返しづらいものですね。
あれからしばらくぼけーっと考えていましたが、最近の電通自殺問題なんかとも絡んで、「自分の人生をコントロールしている」という感覚が一番大事なんじゃないかなと思うようになりました。
いろんなところで読んだのですが、人は「コントロールしたいという欲を持って生まれてその欲を持ったまま死んでいく」そうな。
小さい子が何度も何度も同じ絵本を繰り返し読むのは、予想の範囲内の出来事が確実に起こるという「自身のコントロール下にある状況」の楽しさや気持ちよさを無意識に求めているからだそうな。
当たり前といえば当たり前かもしれないのですが、誰だって自分自身の人生を、誰よりも自分が生きていたいものです。
今この場のこの瞬間の自分は自分が選んできたものである、と思えないならばやはりそれは辛いものだろうなぁと。
それが自己肯定感にどうつながるかは難しいところですが、自分の選択によって作ってきた人生である、と思えるのであれば小さな自己肯定感の喪失は気にせず行こうぜという乱暴な結論です。
そういう時は自分を愛してくれている人たちのことでも思い出して前を向きましょう。
友達0、恋人いない歴=年齢の引きこもりニート30歳オーバーはあきらめてくれ。
そこからのリベンジの仕方はわしにはわからん。
ではまた。
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