Time for Heroes
おこんばんは。
春だ春だといっても、桜が咲ききった今ですらちょっと寒かったりしますね。
そんなこんなで春感はあんまりなかったり。
僕は夏が待ち遠しいです。
憧憬の夏。
幻想の夏。
つまりは、思い出深いということです。
働く、ということについて考えてみました。
「何で勉強しなくちゃいけないんだ」っていうのと、似たような質問な気はします。
僕は、働くという行為は「便利な生活を維持するためのシステムから発生するもの」だと考えています。
個人としての有意義な生活、という意味ではなく
種として。人類として。
進化の過程で築きあがった仕組み、だと理解しています。
科学考証があるわけではないですが、人はもともと
○裸で動き回り、その日の食料を狩りでまかないながら生きてきた
⇒全体の生きる確率を上げつつ、効率的に食料を手にするためにはチームを作るのがよい
⇒生活のサイクルにはリズムと種類があり、役割がある / 人には個性があり得意不得意がある
⇒役割分担が発生する
みたいなことが原初だと思うんですよね。
そうするうちに人は家族を作り、群れを作り、Tribeをつくり、社会を作り
その社会が相互にやり取りしあうに至ると。
役割分担が発生する過程で、また価値観が多様になる過程で、実際は生命に直接かかわるもの以外の役割分担も当然生まれるわけです。
とはいえ彼らの役割は誰かを(特に生命に直接かかわる役割を担っている誰かを)サポートしているもので、その誰かはそこに価値を置くから、交換に食料なんかで報いる。
そういう風にして直接的間接的ながら「全体を1生命体として機能させるための役割」を担うことで人は生きてきたんです。
その図式は、どんなものでもある一定の価値に置き換えることのできる「貨幣制度」の発達でより顕著になるわけです。
うだうだ言っていますが、つまりは働かなきゃ生きていけないのは、つまりは「社会に属しているから」なんです。
僕らは最初からその中に生まれて、その中で育っているから気づかない。
ただやりたくないことを押し付けられるようにかんじてしまうんでしょうね。
でも僕らの生活は常に保障されていて
与えられていて
用意されている状態でスタートするんです。
それがつまり、「ありえない幸運」 ないしは「完成された環境からのスタート」
社会に属していることで成し得ている環境は、その成り立ちを考えれば、社会に何かしらを貢献/還元しているからこそのものなんでしょう。
だから、そういう低い位置での働く意味なんか考えたって仕方ないんです。
もちろん価値感であったり、意味づけというレベルでのそれは大変文化的な・人間的な行為だとは思いますが。
じゃあ仕事というもの、働くということにどう向き合うのがいいんだってことですが
正解はないとは思います。当然。
僕の考え方をつらつらと書いてもうちょっと続きを、とも思いますが、疲れたのでまた今度。
ブログのタイトルが相変わらずPoeticですが。
お気づきの方はいらっしゃると思いますが、大体は
曲のタイトル
アルバムのタイトル
思いついた言葉
で構成されております。
僕は中学高校の時分より変わらず、言葉というものがすごく好きみたいです。
その響き、意味合い、システム。
言葉の美しさというのは確かに存在すると思いますし、言葉の力もまた非常に強いものだと思っています。
いつまでも大事にしていけたらよいな。
今日はそんなところで。
Lili limit。
ではまた。
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