相違を創意として装威する
こんばんは。
相変わらずたゆたうことへの情熱で生きております。
矛盾とはこの世のスパイスだね。カラーだね。
会社で働けば働くほどに、「何ができる」がフォーカスになるし、でもそれって仕方のないことなのだろうなぁと思うのです。
でもそういった議論が満足のいく形でできることはかなり少ないでしょう。
人は意外と、レールに乗って走っているときは直線上の答えに飛びついてしまうものです。
別にレール以外にも道はあるし、なんならレールの上は電車ばかりだし、空路もあれば海路もあるわけで。
レールに乗りながらも帰結を線路上以外に持っていく方とお話したことがあまりありません。
そして彼ら彼女らは新幹線で、僕はトロッコ列車なので、いつまでも「ここまでくればわかる」というお話になってしまうのですな。
間違ってない。だから僕はいつも苦しいのでしょう。
新幹線になれるのかもわからないし、せめて初めから電車でさえあったならと願う人力トロッコです。
でも結局やらざるを得ない。
やろうと思う。
そういった重圧をかわして、でも物量に耐えられなくて、別のフィールドを選ぶといった友人がおります。
僕は、彼女の生き方を肯定しますし、会社が悪いわぼけとすら思ってます。
どこまでいっても、突き詰めればそこにあるのは個人の理念でしかないなぁと思う次第です。
つまり社会で生きるとは、その理念をいかに「他人にとっての価値=社会価値」に転換できるかという話。
そこに我々の本質的価値を測るものさしはたぶんないんだろうね。
とはいえ他人を鏡に生きてこそ己。
他者を軽視してもたぶん誰も幸せにはならないので。
(自分の生きる環境×そこに存在する人々の価値観) / 転換できる社会価値 = 最適環境変数
とかしてみました。
軸によりますが、1に近ければ近いほどバランスが良くて、0に近いほど自信を持って(ある種簡単に)生きていけるかな。だから人によっては生ぬるく感じるんだろうけれど。
まあ、あくまで能力的な話でしかないです。
人間関係はもっと複雑。
そして最も大事です。
今日の駄文はここまで。
ではまた。