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本棚に落書き

製造業/事業推進/音楽/サッカー/海外生活=独り言。駄文/雑文です。

定義と自覚

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こんばんは。


こんにちは。



もしくは、おはようございます。



今日は短め、単発の社会考察。



ユニクロが発表し、実行している「大学1年からの採用」。


究極の青田買いという声も聞かれますし、倫理憲章無視の現・就活事情が、企業側の論理でもって合理的に採用を進めてきた結果であるならば、ユニクロのこの選択は極端ではあるにせよ合理的であるのでしょう。


yahooニュースか何かでこの件を取り上げ、大学のシグナリング機能、つまり学歴が能力証明書として機能するという側面について言及している記事がありました。


リンクは貼りませんが、検索すればすぐ出るかとは思います。


なるほど、と思いました。


大学の教育機関としての機能が疑問視されて久しい昨今において、もはや「就職予備校」「就職斡旋所」と揶揄されてもそれほど的外れでない状況は確実に存在します。



それは十把一絡げに出来るものではありませんが、存在はするのです。



そこに着目した、というわけではないのでしょうが、「○○大学に入れるだけの能力を持つ」というシグナルを利用し、かつ四年間を「教育という名の下の堕落」で無為に過ごさせないための方策としてこの採用方法は効率的なのでしょう。


企業側からすれば、最初から「就職をするためにつぶしのきく学科に入る」ような、大学での教育そのものに目的意識を持たずにはいる学生に対して、それならば高卒の時点で就職の切符を渡してしまうのはとても合理的です。


就職することを目的として大学に進む人についても同様のことが言えるでしょう。


かといって高卒、では「○○大学には入れるくらいの頭はあります」というシグナリング機能が働かないので、大学一年生を、ということでしょうね。


辞退することも可能なようですし、選択権自体は学生側にある分、企業と学生のwinwinであるのかもしれません。アパレル業界、特にユニクロへの就職を大学入学時点で特に希望している方にとってはことさらにそうなるでしょう。



僕自身は、このやり方自体にどうということはありません。




企業側からすれば、当然の施策。



選択権があるので、大学側からも特にどうということも無いかもしれません。



僕が懸念がするとすればそれは、社会的な動きです。




ユニクロほどの大企業、社会的な影響力は計り知れません。後追いの企業が出てくる可能性は大いにありますし、採用活動のスタンダードとなる可能性もあります。



そうなったときに、位置づけが変わる人間というのは当然出てくるのです。そしてそのときに表出する現実は、「合理性」によって「本質」を排除するでしょう。まさしくそれが現実というものだからです。

具体的に言うと、大学の教育機関的側面が形骸化し、就職予備校的側面が強化されていく。その結果、現在の「学業の大学生」と「就職猶予期間の大学生」の扱いに差が出る。



究極の青田買いの結末として、4年間大学生をまじめにやる人間が就職活動というフィールドにおいて不当に扱われるのではないかという懸念です。



この不安の根拠は、現状の新卒制度です。



採用活動過程の人数から考えれば合理的ですが、本質的には不合理。院卒が使いづらい・採用しづらいという一般論もそういう面を言い当てているものです。



社会的な動向はどうにも流れが大きすぎてどうこうなるものではないですし、一度出来上がってしまったシステムは大勢を巻き込めば巻き込むほど壊すのが難しくなります。


「本当は違うと思うけれど、現状どうしようもない」
「ほかもみんなそうだから、うちだけ変わっても仕方ない。変わるなら全員一斉に変えなければ、うちだけ損をする」


そういうものです。




大学の形骸化に拍車がかかったり、教育機関としての機能が失われていくことの無い様に、祈るばかりです。



あと、目的意識から見たとき、就職のために大学に行く人は圧倒的多数だとは思います。ただそれも分類の仕方の問題で、考え方次第という部分があるので、そういう点は言及しません。以前のブログ記事で、「共同体における[願望]の最適化」という形で目的意識の捉え方を考えてみたものがありまして、そちらに若干関連していたりします。


本文内で言っている「学業の学生」は、就職目的であろうと何であろうと、大学の教育機関としての機能であるところの学問・学業をしっかりこなしている人間、自らの興味関心あるいは目的のためにそれらを遂行している人間をまとめて指していますので、厳密に定義づけしているわけでは在りません。

さらに言えば、大学で勉強しない人たち、「大学で四年間を過ごし卒業した」というシグナルのために通ってらっしゃる方々を批判する意図は一切ありません。全然悪いと思いませんので。



ま、この話、反対することもないけれど、嫌な感触はどことなくあるというそんな感想です。







「大人」も「子供」も、言葉だけではいつまでも都合のいいものよね。


求められるものや社会的な位置づけって言う意味での暗黙の了解は分るけれど、結局それは誰もが斜に構えてみたくなる「常識」というやつでしょう?



大人であること、大人になることの定義づけは結局自己によるし、そうであるべきだし、そうだと思う。

だから一般社会で使われる「大人」という言葉はすべて、「社会人」に置き換えて、置き換えられないものについては価値観の相違について再考してみればいいんじゃないかな。


「大人」は「社会人」と同義ではないよ。



定義付けが済めば、自覚が生まれる余地もあるというもの。


「子供のままでいたい」

「大人だね」

「大人なんだから」

「子供みたいなことを言うな」


そういう言葉の裏側にある通念みたいなものが嫌いだ。

定義が間違ってるんだよ。


俺は個なんだから、個に対してぶつける個から出た言葉であればかまわない。


「誰」にとって「大人」で、「子供」でという話。



自分自身のありようを見て、どう在りたいかを想って、自覚して、となるんだろうね。


その在り様がどう他人に映るは、またその先の話。



駄文でした。



さて、曲。



インディーです。五人組ロックバンド。suck a stew dry。


シュールな感じにアイデンティティについて歌います。2時2分。


割とありそうな感じだけれど何かしらツボ。いい感じに劇調。



ではまた。



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視覚・記憶・想像の相関性

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